私の仕事探し(連載第9回) 教える技術、教わる技術

かつて校正の通信教育を修了したのだが、仕事には結びつかなかった。一方で私の場合、なぜかお金をもらいながら教わるという状況がときどき出現する。そして、お金を払って教わることより、お金をもらって教わったもののほうが、結果的に身に付いているように思う…。

会社がパソコン教室だった

 入力会社T社にパートとして入ったとき、私はその2、3カ月前にパソコンを買ったばかりでした。「ワードとエクセルができます」と入れてもらったものの、どちらも2枚ばかり自己流の書類を作ってみた経験があるだけでした(本誌第4号)。
 ですから、私のパソコンの使いこなしはほとんど3年数カ月のパート時代に覚えたのです。会社には週1回パソコンコンサルタント氏が来てくれるので、質問事項をメモしておいて、まとめて教えてもらっていました。パソコンコンサルタント氏は20代前半の男性で、当時の言葉でいう「パソコンおたく」的な人物でしたが、お父さんが校長先生だという家庭環境のためか、教えるのはとても上手でした。
 質問すると、まず解説しながらゆっくり一度やってくれます。「わかったわ、ありがとう」と答えてもレッスンは終わりになりません。「じゃあ、やってみてください」と必ず言われます。席を替わってパソコンの前に座り、今メモしたノートを見ながらやってみると、わかったつもりが案外引っかかるのです。もう一度教わり、メモを書き足すところまで面倒をみてくれました。おかげで、そのメモを見れば日数が経ってからでもちゃんと一人でやることができ、私が在宅さんに教えることもラクラクでした。

インストール手順は大差ない

 コンサルタント氏から学んだことは、個々のパソコン技術だけではありません。パソコンや各ソフトの機能を全部知り尽くしている人などいない、ただし共通点はあるから類推できる、ということを知ったことが大きかったと思います。
 例えば、新しいソフトをインストールするとき、当時の私はいちいち説明書を読みながら作業していました。ところが彼はいきなりCD-ROMをセットして作業を始め、出てくる画面を「ここはこっちにして」とか瞬時に判断して進めていました。
 今思えば、ソフトのインストール手順はどのソフトでもだいたい同じです。ほかのソフトを起動していたら終了しろと求められるとか、この条件に同意するかと聞かれるので、実際には項目を読まなくてもとにかく同意するとか。そんなパソコン操作の初歩から見て覚えていったのです。

パソコンは爆発しない

 「このデータをこう処理するにはどうしたらいいの?」「ああ、それはアクセスを使って」「アクセスって使ったことないんだけど…」
 彼だってそんなにアクセス経験があるわけではありませんが、だからといって困ったりマニュアルをひっくり返したりはしませんでした。彼は「やってみる」人でした。まず、納品データを壊すとまずいからと、「テスト.csv」などという別名をつけてファイルを保存し、元データに害が及ばないようにします。それから例のていねいな説明でcsvファイルをアクセスに読み込む方法を教えてくれます。
 その先は、メニューバーをクリックして「このへんにあるはず…これを使えばいいかな」という調子です。
 「そんないい加減にやったらパソコンが爆発するよ~」「パソコンは何をやっても大丈夫。これを選んで、こうかな? あれ、全然違う。こうだな。ほらできた」という調子です。
 パソコン初心者は「知らないことをする」ことを極度に恐れます。うっかり何かしてしまったらパソコンが故障する、と不安でならないのですが、実際には、各アプリケーションソフトの中で多少何かをしても、パソコンが壊れたりはしないのです。
「書式設定」とか「プロパティ」というメニューがあったら開いてみること。右クリックを活用して、表示されるメニューから該当しそうなものを選んでみること。ワードやエクセルの範囲で仕事することにこだわらず、フリーウェアやシェアウェアをそういうサイトへ探しに行くのも一つの選択であること。
 そういうサイトというのは、今でいう「窓の杜」です。当時は個人のかたが運営されていて名称も違っていたのですが、思い出せません。私自身は現在はもっぱら「Vector」へ探しに行っています。

無償の研究が報われる人

 彼のやり方をだんだん私も覚えていきました。パソコンに向かってあれこれやってみるのが怖くなくなりました。何しろ週に一度しか来てもらえないのですし、彼の仕事が忙しいと今週は休みということもしょっちゅうだったので、自分の仕事はできるだけ自分で調べて処理しなければなりません。
 在宅入力者共通の悩みは、仕事がないときは全然ない、あるときは徹夜してもこなせないほどある、ということです。これは実のところ入力会社自体も同様なのです。在宅さんは仕事がなければお金も出ませんが、パートは出社していれば規程の時給をもらうことができます。私はそういう日は研究に没頭(?)しました。
 余談ですが、仕事がないとき「やったー!」とばかり遊びに行ってしまう在宅さんは多いです。こだわるタイプの在宅さんは仕事が切れたとき「この前のあれをもっと能率よく処理する方法はないだろうか」と調べまくり、ユーザーサポートにも電話し、研究成果を出し惜しみせず社内スタッフにも教えてくれるのです。
 そういう人は常に仕事の出来がいいので、仕事が優先的にまわり、無償の研究も結局は報われるという循環になります。仕事以外ではパソコンの前に座らない在宅さんは、勉強しないのでいい仕事がまわらないという悪循環になります。

出版社のリライト教室

 1999年1月から私は在宅入力者となり、秋からは仕様書が厚さ数センチもある、例のワードレイアウトの仕事に入りました。これが「お金をもらって教わった」経験の第二弾です。研修自体は無給ですが、トライアルで入力したものは正規の単価でお金をもらいました。時給換算で50円程度だったのは単にまだ慣れていなかったためですし、パソコンスクールでこの水準まで教わるには相当なお金がかかることでしょう。このとき教わった技術で、今も本誌を作っているわけです。
 11月に「テープ起こしてんやわんや」を出し始め、12月に複数の出版社からテープ起こしの仕事をもらえるようになりました。うち1社はリライトまでという打診でしたが、私にはリライトの経験がまったくありません。先方が経験がなくてもと了承してくれたので、さっそくもらってきました。
 これが、「お金をもらって教わった」経験の第三弾です。編集者氏は、私が納品したデータを出力して校正し、ファックスで送り返してくれました。ファックスが届いたら私から電話を入れるのです。そして、ここはなぜ直しが必要かということを、一つ一つ教わりました。

「四つぐらい」ではである調にならない

 講演という話し言葉を「である調」の文章にリライトするのですが、最初はあっちこっちに「話し言葉のしっぽを引きずって」いました。何回かやるうちに、話し言葉のしっぽを引きずらないためには、素起こしの段階から消してしまうのが一番確実だということがわかってきました。
 この仕事は最初からである調で起こすのですが、「私は四つぐらい仕事をしているんですがね。」を「私は四つぐらい仕事をしている。」と素起こししても、まだ「ぐらい」という話し言葉っぽさが残っています。だけど「約四つ」もおかしいし、「四つほどの」あたりがいいかなあ、と判断して最初から整えてしまいます。
 共同通信社『記者ハンドブック』にのっとった表記も、それまで表記を気にする習慣がなかったので赤字の嵐でした。しかも、その出版社のハウスルールを覚えなければなりません。例えば数字を漢数字で統一するとき、その表記方法が『記者ハンドブック』とは違うのです。
 小見出しの付け方がヘタ。これはいまだに苦労しています。ザイニューはくだけた小見出しをつけられるのでむしろ簡単なのですが、その仕事ではくだけたものは不可、かといって読者の興味をそそらないもの、読者の目や気持ちを休ませる場にならないものも不可なのです。ある程度の格調があって、しかも簡潔で、しかも記事を読みたくさせ、しかも一休みの場所になる小見出し…。

意見の根拠を示せ!

 これらよりもっと深刻なのは、私が講演者の意図を読み違えるために発生する修正指示でした。「講演の重要な部分がリライトに入っていない」「その意見の根拠を講師は語っていたのに、リライトでは示していない」「その意見の根拠として挙げられた事実はそれではない、こっちだ」などなど。
 早い話、私が本誌のリライトコーナーで偉そうに書いていることは、クライアントに私自身が指摘されてきたことなのです。
 経済や経営についての講演をリライトするなど、無謀といえば無謀なことです。編集者は経済雑誌を何年も編集して経済漬けの毎日ですから知識も豊富ですが、私は一方でデータ入力やら全然分野の違うテープ起こしやらで、経済中心の生活ではありません。経済学部や経営学部を出たわけでもありません。それでも、もともと経済や経営には興味があったので、仕事をもらえるようになって最初にしたのは、一般紙のほかに日本経済新聞を取り始めたことでした。

1冊もないのに「ずらり」と書いてクレームが

 リライトの仕事では、講演者の発言だからといって鵜呑みにできません。あるとき、「最近は○○分野に注目が集まり、書店には関係する本がずらりと並んでいるが」と講演が始まったので、その通りにリライトしたら編集者から修正指示の電話がかかってきました。自分の仕事の安易さにショックを受ける出来事でした。
 リライト中、その○○分野にまったく知識がない私は、参考書でも買おうと近くの書店へ出かけたのです。売り場の1列全部がビジネス書・経済書だというのに、○○の本はまったく見あたりませんでした。「まったくない」と自分の目で確認していながら、そのままリライトしてしまったのです。
 都心のもっと大きな本屋には多少あるのかもしれず、「○○関係の本を書店でも見かけるようになったが」とニュアンスを落として再納品しました。半年ほどたったら、続々とその分野の本が書店に並ぶようになりました。講師やまわりの専門家は、講演があった頃、本を執筆しているまっただ中だったのでしょう。もう店頭に並んだような気がしてそんな発言になったのかもしれません。

お次は雑誌教室

 赤字をファックスで戻してくれたのが2度ほど、電話で修正指示が来たのが2度か3度ですから、それ以外はだいたいなんとかなっているようです(初期の頃は表記が間違いだらけで、毎度毎度編集者に大変な手間をかけさせてしまいましたが、ここでは数に入れていません)。
 ここの仕事はおもしろく、○字×○行、小見出し○本の記事にするリライト以外に、記事にする直前までのリライトなどというものもあります。小見出しや大見出し、図や表を入れるのでまだ最終文字数が決まらないが、ページ全部が文字だとすれば○字になる、その程度にリライトしてもらいたい、というものです。あとは見出しや図表を入れながら編集部が調整していくものです。
 話が飛びますが、昨年12月からまったくの自己流で本誌を発行し始め、普通は雑誌ってどう作るものなのだろうと興味があったのです。そうしたら、またまたラッキーなことに、それを教わるチャンスがめぐってきたのです。
 それが今年9月に発行された『女性のパソコン』第3号です。ワードとエクセルの記事を書くにあたって、大ラフやラフの作り方、見開きを単位とする雑誌の構成についてなどを教わることができました。
 幸い、1ページを種類別に複数のテキストファイルに分けて保存する方法は、以前から知っていました。T社のクライアントに印刷会社があったからです。『女性のパソコン』の記事をその形で納品したときは、本当にこの形で作るんだなあと感動したものでした…。

 

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