私の仕事探し(連載第10回) ザイニューを創刊した頃

2000年夏。私はまた方向を変えたくなっていた。メールマガジン「テープ起こしてんやわんや」の読者は相変わらず増えていたが、自分がテープ起こしの専門家でないことは痛感していた。
 ワードや、データ入力用のエクセル。ベタ入力。私が本当に知っているそれらの分野のことを書きたいと思ったのだが、メールマガジンではうまくいかないような気がした。紙の雑誌を出すにはどうしたらいいだろう。調べてみることにした…。

登録を解除するふんぎりがつかない

 「安すぎる単価で仕事を請けてはいけない。値上げは至難の業だから、結局自分の首を絞める」という忠告を、メーリングリストやSOHOサイトなどで見かけます。これは真実で、クライアントに交渉して単価アップというのは案外むずかしいのです。
 しかし、何の経験も実績もない人が、いきなり高単価の仕事など受注できるものでしょうか。安い仕事でも、経験と実績を作るためと割り切ることも必要なのではないでしょうか。
 違う発想をすれば、単価アップは簡単です。経験と実績を作ったら、受注先を乗り換えればいいのです。
 A社のためのワークグループを抜けたことは8号に書きましたが、今度はT社の登録を解除する時期が来ていました。例のむずかしいけど稼げるワードの仕事は終わってしまい、またデータ入力で「仕事の少ない月は9000円」などという状態に戻っていたからです。その当時の私は、データ入力で9000円稼ぐのに平均12時間の労働が必要でしたが、出版社から直接受注するテープ起こしの仕事では、9000円稼ぐのに4時間足らずだったりしました。
 登録型ワーカーはもうやめよう。特にデータ入力は、入力業界で最も値崩れの激しい仕事だから、これではわが家に必要な金額は稼げそうにない。私には徹夜を続けて量をこなすような体力はないのだから、短時間で効率よく稼げる方へ転換しなければ。何度もそう決心したのですが、なかなかそれをT社に宣言できませんでした。
 T社は、私を育ててくれた会社です。それに、在宅さんに仕事を出すチーフの苦労は、私もかつて社内スタッフだっただけによく知っています。仕様の詳細な説明は、時間をくわれるものです。出す側にとっては「これ、いつもの」という一言で済む人間がどうしても何人か必要なのです。私はずるずるとT社の仕事をしていました。

1本のEメールに半日かかった頃

 紙の雑誌を作る。いつからそれを考え始めたのかは覚えていません。T社登録の在宅ワーカーとしてデビュー?した1999年1月には、すでにそれらしいことを考えていました。T社のパートだった1998年までの数年も、在宅さんの面接をするたびに疑問を感じていました。
 ワードやエクセルの本はたくさん売っている。パソコン雑誌やパソコンスクールも大氾濫。それなのになぜか、在宅入力者になりたい人は「テキストファイルで保存」ができない。「csvファイル」がわからない。フォルダとサブフォルダという用語が通じないし、ソフトのバージョンを質問しても答えられない。本当に必要な情報はどこにあるのだろうか。誰かが提供しているのだろうか。
 私がT社でパートしていた頃は、インターネットはそれほど普及していませんでした。クライアントがEメールができると言うのでデータを送信しても、「届いていません」と言われて何度も送り直し、こちらの設定を見直したり先方のアドレスを再確認したりで半日つぶれたこともありました。
 翌日になって「インターネットのわかる者に見てもらったら、送ってもらったメールは全部届いていました」と連絡があって、T社一同はガックリ…というのがこのエピソードの落ちです。

私たちは10年待てない

 ほんの数年前までそんな状況だったのですから、メールマガジンやメーリングリストの普及だってごく最近のことです。現在はインターネット時代の創生期なのです。
 10年も経てば、この混乱の時代をほほえましく振り返ることになるでしょう。私たちもおそらく、後の世代から見ればダサいとしか思えない「ISDNとADSLと光ファイバーに振り回された話」などしてイヤがられることになるでしょう。
 とはいえ、私たちはとにかく今、この大混乱の創生期に仕事をしてお金を稼がなければならないのです。パソコンやインターネットの状況が安定するのを10年も待ってはいられません。
 マスメディアはまだ状況に追いついていないのです。実際の入力実務に携わる私たちは、メールマガジン、メーリングリスト、SOHOサイトなどあの手この手を使って情報を交換し、仕事をスムーズに進めるためのノウハウを蓄積していくしかありません。
 とはいっても、メールマガジンとメーリングリストは、基本的にテキストしか通用しない文字の世界です。ウェブサイトは画像も使えますが、大量の画像を楽に見られる環境はまだ多数派になっていません。

めまいがするNTT請求書

 実際に在宅入力をしている一人として情報を発信するとしたら、むしろ昔ながらの紙の雑誌を作る方がいいかもしれない。もしそれが受け入れられて、月に2万か3万でも安定した収入が得られるなら、夏枯れの時期の下支えとしてどんなに心強いことだろう。
 私はインターネットを駆使して、紙の雑誌を出す方法を調べ始めました。T社のパート時代から2年しか経っていませんでしたが、パソコンとモデムのスペックが上がったことで通信速度が速くなっていました。ウェブサイトを開いている企業がぐんと増えたことも、調べ物には便利でした。
 ただし、2000年秋にはまだ私の住む地域(だったか私のプロバイダだったか)がフレッツISDNの使い放題回線に対応していませんでした。連日何時間もインターネットに接続したため、電話代は月に数万円ずつかかり、雑誌を出すのはいいけどこの金額を回収できるかどうか、楽観はできませんでした。
 雑誌のDTPに使うソフトも問題でした。私はクォークエクスプレスなど本格的なDTPソフトを持っていませんし、使い方も知りません。個人向きDTPソフトの「パーソナル編集長」は縦書きの日本語を扱うのに適したソフトですが、このソフトで入稿できる軽オフセットの印刷所を見つけることはできませんでした。
 一太郎は約物の重なり処理を自動でやってくれるのが魅力でしたが、複雑なレイアウトに向いているとは思えません。短所の多いソフトだけどやはりワードを使うしかないと決めたものの、仕様書なしでレイアウトした経験は、保育園の夏まつりだより程度。何もないところから、すなわちB5版にするかA4版にするかというレベルから決定するのは初めてでした。

「酒とバラ」ならぬ「調査と勉強」の日々

 まず一般的なDTPのテキストを買ってページ割りその他の方法を学び、次にワードDTPの本を買って勉強しました。せっかく覚えた機能が印刷所のテスト印刷では消えていたりして、レイアウトは二転三転しました。
 告知前にサイトを作らなければなりません。郵便振替口座を開くために郵便局へ行かなければなりません。メール便を受け付けてもらうために、ヤマト運輸と契約しなければなりません。
 調べなければならないこと、準備しなければならないことはいくらでもありました。夏から秋にかけて、私は積極的な営業活動はできませんでした。仕事が切れればこれ幸いと、一日中調査と勉強です。安い仕事から脱出すると決めたものの、結局この時期はそれまでより貧乏してしまいました。
 ワードの標準的ページ設定では、上下左右の余白は30ミリになっています。こんなに余白を取っていたらページ数が増えて会計を圧迫するし、では何ミリ程度がいいのだろうかと考えるとわからない。家にある本や雑誌を片っ端から測ってみたものです。

六本木のクラブに代わる方法は?

 ザイニューもあと2号になってしまい、「あなたのメンター」を特集できるかどうかわからなくなってしまいましたが、本当にいろいろな人のおかげで創刊にこぎつけたのです。インターネット通販をするには、本名・住所・電話番号をサイトで公開しなければならず、悩んでたんぽぽさんに相談メールを書いたのもこの頃です(第6号たんぽぽさんの寄稿参照)。
 第3号の特集「出す側の事情」に登場してくれた編集者K氏も、相談に乗ってくれました。もともと、私が紙の雑誌を思いついたのは、K氏から受注したインタビューのテープ起こしに「フリーペーパー」という話題が出てきたからです。ザイニューの場合、青山・六本木あたりのおしゃれなバーやクラブに置いてもらったって、役に立たないことは明白でしたが、発想のきっかけにはなりました。つまり、既存のメディアからの発表にとらわれず、自分で思い通りのものを編集・発行していいのだと気づいたのです。
 K氏は、『月刊 在宅入力者』という雑誌名について「そういうベタベタなタイトルは好きですね」とメールに書いてくれました。この一言で舞い上がってしまうほど不安ばかりの私だったのです。
 K氏にはインタビューの実際的な方法を教えてもらいました。よほど大物アーティストでもなければ、インタビューさせてもらうのにお金を払う必要はないこと(喫茶店ならお茶代をもつ程度でよい)、大がかりな機材を持ちこんだ撮影などをするのでなければ、事前に喫茶店等の了解を得る必要はないことなどがわかりました。

答えは私の中にあった

 私の高校の先輩(女性)が、当時コーチングを仕事に活かせないかと模索中で、私もモニターとしてコーチングを受けさせてもらえることになりました。まず、簡単な企画書を書いてメールで送りました。
 「全体的に無理は感じません」という返事が来て、その日は布団に倒れ込むほど安心しました。その次に直接お会いして…「で、この雑誌のコンセプトを一言で表すと?」と聞かれたのですが、私は答えられませんでした。先輩はいくつかの質問をしました。その中で、どんな質問だったのだか、私はこう答えました。
「女性向けの在宅ワーク記事だと、たいてい“仕事が忙しいときのお勧めスピード料理”とかが載ってるんですよね。でも私はそういう記事は載せたくないんです。スピード料理はほかの雑誌に任せて、これは勉強のための雑誌に徹したいんです」
「それだ!」
「え?」
 ザイニューサイトのトップページには「入力をしている人、したい人のための勉強誌」とありますが、そのフレーズが誕生した瞬間でした。
 ソクラテスの産婆術という言葉を、私は思い出しました。子どもはちゃんとお腹に入っているのだから、産婆さんの仕事は生むときの手助けをすることだ。同様に、真理は本人が知っているのだから、教師は一方的に教えてはならない、手を貸して引き出してやればいいのだ。そういう信念で、ソクラテスは対話を重視したのだそうです。コーチングというのも、その流れをくむなのでしょう。

スケジュール表が安定剤

 コーチングでは、創刊までの予定を1週ごとに書き出してみるようにと言われました。私にはそういう発想がなかったので新鮮でした。やるべきことが遅れているかどうか、スケジュール表を見れば一目でわかるのです。逆に、「今週はこれとこれ」と決めたことがクリアできていれば、意味もなく焦燥にかられる必要はないのです。スケジュール表が、ラスト1カ月のストレスをずいぶん緩和してくれました。
 入力実務の上で私の最大のメンターだったのは、もちろんT社のチーフです。『月刊 在宅入力者』が本当に動き出すことになり、ついに私は在宅ワーカーとして2年近く仕事をもらったT社の登録を解除しました。チーフは私の出発を激励してくれました。

 

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