私の仕事探し(連載第4回) パートに出たら在宅の仕事が来た…

時は1996年4~6月。パートの面接や派遣の面接も実らない。長女は1歳半、この子のせいなのだろうか…。それでもようやくパート先を見つけた途端、在宅入力の仕事がたくさんやってきた。今ごろになって、なぜ?

パートの面接に落ちる

 私が作ったチラシを見てクリーニングを出してくれた人が結構いたのは、うれしいことでした。私の仕事探しはさえないのにと悲しくもありました。(私もクリーニング屋を手伝った方がいいかと夫の両親に尋ねたら、小さな店だから2人はいらないと言われたのです。)

  この頃、義父にまた商店街の会計文書を頼まれたので、エクセルに挑戦しました。これも今思うとけったいな作り方をしていますが、とにかく表作成の基本は分かりました。

  前回ちょっとふれた、市内の○○商会へパートの面接に行ったのは4月半ばでした。パソコンにレーザー彫刻機を連動させて、きれいな表札や看板を作る仕事をしていて、そのオペレータの募集でした。デザイン関係はマックを使う会社が多いのですが、幸いにもウィンドウズだということで、例のチラシを持って出かけました。

  仕事柄、速く文字打ちができることより、レイアウトのセンスを重視したいという話でした。チラシを見せたら「ほう、これだけできればOKですね」と言ってくれたのですが、単なる社交辞令かもしれません。だって落ちましたから…。

派遣会社で冷たくあしらわれる

 派遣会社の面接にも行きました。7、8人のグループ面接で、まず会社の仕組み、仕事紹介の仕組みをビデオで見せられてから、次の部屋でパソコンに向かってスキルチェック、また次の部屋で個人面談です。部屋から部屋へ移動させられ、コンベヤー上の製品になったようでした。でも、毎日面接をやっている面接担当者もあきあきでしょうね。

  文字打ちのスキルチェックは文句無しにAランク、どこへでも紹介できる速さだと言われました。ただしテンキーの入力は全然ダメ、私のオアシスはポータブルでテンキーはありませんでしたし、パソコンを買ってからは数字をたくさん打つ入力はやっていなかったので、仕方ありません。

  個人面談では、子どもが保育園に行っていても仕事は紹介できないと、そっけなく言われました。派遣の仕事では残業もあるし、子どもはすぐ熱を出す、看病しているとうつって計1週間休み、というのでは派遣先の企業からクレームが来てしまうとのことでした。(長女は丈夫な子で、私はその後勤めた入力会社では、連続2日の休みが最長でした。1週間なんか休んだことはありません!)

  それなら面接前に門前払いしてくれればいいのにね~。1時間もあっちこっちへ移動させといて…。派遣会社の広告では、「週4日、午後だけ働いています。私の都合に合わせて紹介してくれるのでとても快適です」とかいう体験談を載せてるのに…。

  まあ、派遣は、正社員をリストラしてその代わりに雇うのですから、ボーナスもなしに正社員並みに働く立場だということは私も知っていました。くやしいけれどどうにもなりませんでした。

多少条件に合わなくても前向きに!

 ここでついに三鷹の職安(ハローワーク)に行きました。窓口で、「パートの募集カードを見たけど、これというのがないので、今日は登録だけして帰ります」と言ったら、係の人が「もう一度見なさい」と忠告してくれました。「何かあるはずだから」。

  そこでもう一度座ってじっくりめくりました。T社のカードが目に留まりました。さっき飛ばした理由は、条件が“年齢30歳まで”と“一太郎の経験2年以上”だったからでした。私は、そのとき、あと数日で32歳でしたし、一太郎など見たこともありませんでした。

  ちょっと考えました。決心して、そのカードをさっきの窓口に持っていきました。「私はワードとオアシスと書院が使えます。ワープロはみんな同じです。一太郎なんか1週間で覚えますから面接してください、と言っていただけませんか」

  窓口の人は、私の変わり身の早さとずうずうしい口上に苦笑していましたが、すぐ電話をかけてくれました。こうして私は面接に行けることになりました。

  まったく、ずうずうしいことを言ったものです。書院はもう忘れてしまったし、オアシスはポータブル、ワードにいたっては、買って2カ月しか経ってないのです。

  条件に合わないからといって縮こまっていてはダメだということを、私は「もう一度見なさい」と言われて悟ったのです。そこで、T社に面接に行ったときは、「うちの子は鉄でできていて、病気なんかしないんです」と大見得を切りました。

  面接に来ている人は、他に独身の人と、子どもがもう大きい人だということで、私は半ばあきらめていましたが、なんと採用してもらえることになりました。T社はもともとオアシスの入力会社としてやってきたので、「一太郎」と職安カードには書いても、できたらオアシスもできてほしい、他の人はオアシスが使えなかったからだと、あとで聞きました。

  職安窓口の人こそ、私の最大の恩人かもしれません。

ダイレクトメールって取っておいてくれてるみたい

 5月1日からT社に出勤しました。パートですが、9時~5時(定時は5時半)の勤務ですし、仕事の内容も正社員と別に変わりないものでした。会社は正社員を雇うコストがかけられず、私は残業をしたくない。利害が一致(?)しての正社員もどきパートです。

  ところが、ある日帰宅したら、留守電が入っていました。第2弾でDMを出した印刷B社から、仕事を頼みたいということでした。DMは即効性はないけど、どこかに置いといてはくれているのでしょうね。就職(パートは就職っていうのかな?)したばかりではあり、受けるつもりもありませんでしたが、一応電話してみました。

  この話は仮に就職してなくても受けられませんでした。何かの表で、そのまま版下として使えるものを、という仕事だったのです。表のレイアウトはある程度できると思いました。ただ、オアシスにしろパソコンにしろ、プリンタが問題でした。縦罫線にヘッドの往復の継ぎ目が出てしまうようでは、とても版下としては使えません。B社には、パソコンで使えるレーザープリンタはないということでした。

  縦罫線の継ぎ目は、店のチラシでも見苦しい部分でしたが、自分の家で使うものですから、誰に迷惑がかかるわけでもなく、まあ仕方ないとそのまま版下にしたのです。しかし人様の仕事にはとても…。

  個人でレーザープリンタなんか持つには、よほど安定した仕事がなければ引き合わない。でもレーザープリンタがなければ安定した仕事はないのかも…。就職したからいいようなものですが、やはり考えてしまいました。

  この頃、レーザープリンタはとても高価だったのです。版下ものの制作にたえうるインクジェットプリンタだってあっただろうと思いますが、それだって今よりずっと高かったはずだと思います。ちなみに、現在の私は、その程度の版下になら使えそうな、比較的性能のいいインクジェットプリンタを使っています。

テープ起こしも来た!

 5月20日頃、ニフティでメールが来ました。出版C社からで、シンポジウムのテープ起こしを頼みたい、ということでした。やっと就職したというのに、どうして今頃になって次々と仕事が来るのか。結局営業というものは、すぐ実を結ぶものではないのでしょう。その空白に耐えられるかどうかが大事なのかもしれません。

  それにしても、私は自分のニフティへの書き込みがまだ生きているとは知らなかったのです。在宅ワーキングフォーラムの会議室「売り込み大作戦」は、999件の書き込みしかできず、新しい書き込みが増えるたびに古い書き込みは自動的に消えていきます。だいぶ前にチェックしたときは、私のは800件台の終わりあたりにありましたし、このところお仕事打診メールも来なかったので、とっくに999件のかなたに消えたものと思って、自分の書き込みを削除していなかったのです。

  出版C社からのメールは、それまでのお仕事打診メールとは明らかに違っていました。他のメールはどれも、大勢に同じ内容を送って、その中から選ぼうという感じでしたが、このメールは私1人に向かって、これをやってもらえませんかと尋ねていました。

  他の誰かに断られたあとだったのかもしれませんが、少なくともその時は、私だけを対象にしていました。他にも“テープ起こし承ります”とアップした人はおおぜいいたのですから、かつての【テープ起こしProject】を見ていてくれたのかもしれません。

  見込んでもらったとは光栄なことです。私は引き受けることにしました。会社には内緒です。分量と納期から考えて、夜に少しずつと日曜でアップしそうでした。“削除し忘れたなどという理由で断るなんて、在宅ワーキングフォーラムの信用にも関わる”と、自分を納得させてしまいました。

テープ1本では赤字だけどトランスクライバーが欲しかった

 すぐ秋葉原へ出かけ、トランスクライバーを買ってきました。足でテープを再生したり巻き戻したりできるので、手は入力に専念できるのです。起こしたあとにアタマから聞き直して校正する暇はなさそうだったので、それは友人に頼みました。聞き直しだって自分でするべきなのですが、最後まで一度起こすだけでも大変な時間のかかるテープだったのです。

  このテープは、クライアントが録音に失敗し、普通に聞き取れるところはまったくありませんでした。当時の私がもっとテープ起こしに慣れていたら、かえって断っただろうと思います。クライアントも、だから「いつも出している人に断られた」か、あるいは「いつもは編集者が起こしているんだけど、とても片手間では起こせないから誰か探そう」のどちらかだったのだろうと思います。数分にわたってまったく聞き取れないところが何度もあるほどの録音状態でした。

  聞き直しを頼んだ友人は、子どもが生まれるまで外国人に日本語を教える仕事をしていました。この職業の人は日本語に対する執着がとても強く、「聞き取れないわね」ですませるということができません。すさまじい執念で何度も聞き、しまいにはご主人まで動員したということでした。

 「ニチャン」って何?と困っていた部分を、「これ、日案じゃない?」と教えてくれたのも彼女でした。そうか、じゃあ「シューアン」は「週案」だ! 内容が教育関係だったので、私には??の業界用語もお手のものだったのです。

  できあがったデータは、ニフティのバイナリメールで送りました。バイナリメールがやすやすと送れたのも、例の【テープ起こしProject】のおかげでした。

 (今、バイナリメールという言葉はあまり使わないと思います。また知らない言葉が!と不安になったかた、ご安心くださいね。)

  出版社からは、「あの状態の悪いテープをよく聞き取っていただいて、一同感激しております」という、ていねいなお言葉をいただきました。友人のおかげです。

いいプリンタがないと版下ものはムリだ

 6月になって、かのSM小説のベタ入力をくれた印刷A社から、久しぶりに仕事の話がありました。もう就職したからと断ったのですが、その仕事も印刷B社と同様、表の版下を作る仕事でした。ナントカ市の会計報告書のようなものだったと思います。

 「こういうのを入力される方はみなさん、家で出力までされるわけですか?」「そうです」「レーザープリンタをお持ちになってるわけですか?」「私にはパソコンやプリンタのことはわからないんですよ」そうか、印刷屋さんですものね。

  というわけで、またまた罫線を多用するレイアウトもの、仮にパートに出てなくても取れない仕事でした。ただ、前の仕事の出来がひどければ二度と仕事は来ないはずです。この話があったことで、私はとても安心しました。

  それにしても、この時期以来、プリンタだけはいいのが欲しいと思うようになりました。

 

5へ